福岡伸一氏「動的平衡」聴講

2017.10.15(日)この日は朝から雨が降り、一気に冷えた日だった。午前中は模試監督があり、生姜を沢山入れてもらった温かいうどんをすすってセミナーパークに駆け付けた。他の行事もあるのであろう、駐車場はいっぱいで第8駐車場に案内された。開場までまだ少しあるのでロビーを歩いていると、待ち合わせている足立さんから声をかけられた。
約2か月前、この講演が開催されることを知り、絶対に行こうと決め、3つの端末で申し込んだ。そのうちの一つが当選した。幸運であった。この日は全国各地で行きたいイベントが重なった日であった。体が4つくらい欲しい日であった。仕事が私を山口に留めた。そして、チケットの当選である。神の配剤を感じずにはおられない。
最前列に陣取り聴講した。

「生命を捉えなおす~動的平衡の視点から~」というタイトルで青山学院大学教授の生物学者福岡伸一先生が登壇された。冒頭自己紹介をされ、スライドを使われるため中央を避けられて、サイドのPC前に座られた。座るや否や、用意された水のペットボトルの蓋を開けられコップに注がれ飲まれた。約2分間、200人の聴講者はその仕草を固唾を飲んで見守った。静寂が会場を包んだ。
生命とは何か?科学者はその研究に最も興味がある。数学もその過程で生まれたものであると私は認識している。『動的平衡』という著書を読んではいるが、生で著者の口からそのことについてどう説明されるかに非常に興味があった。

自らの幼少期からの興味関心事やエピソードを説明され、顕微鏡を発明したオランダのアントニ・ファン・レーウェンフックに興味を持つところから始まる。彼の近くに住む画家フェルメールが友人であったことにも興味を持ち、原画37枚(素数だと喜んでおられた(笑))を全て観に行き、(盗難のため一つだけまだ見てない)結局コピーの展覧会までするようになるとのお話しもされた。『芸術と科学のあいだ』という著書も出されている。

生命体の細胞やそのシステムを解析するとその機械的なメカニズムが判明する。究極がヒトの遺伝子、ゲノム解析は終了した。しかし、それで生命が分かったことになるのであろうか?私にはこんな問いに聞こえた。福岡氏は「生命のもっている別のメッセージが見えなくなる」とも言われた。有名ではない化学者ルドルフ・シェーンハイマーの言葉「生命は機械ではない。生命は流れだ」を引用された。

”流れ”とはどういうことなのか?人は食べ物によって絶えず”作り変えられている”のだそうだ。一番入れ替わりの早い場所が「消化管」だそうだ。実は大便のほとんどは消化管の細胞の残骸であるとのこと。食べ物のカスは微量だそうだ。だからトイレに行って流すときに「さようなら、昨日までの私!」と手を振るのがいいのである。約1年でほとんど別人になるそうだ。だから1年ぶりに会って「久しぶり!変わってないね」というのは生物学的に言うと間違いだそうである(笑)

 

動的平衡とは

「作ることよりも壊すことを優先する。変わらないために少しずつ変わり続ける、分解と合成の絶え間ない均衡」

そしてこの「平衡」を「バランス」と訳された。ヒモトレ発案者の小関勲先生はバランストレーナーという肩書をお持ちである。生命、肉体のバランスに着目する点で共通項をみた。ここでいうバランスとは平均台のようなものではない。つまり、右か左か、足りないから足すなどというものでもない。言葉にすると嘘になるのだが、実感としてはある。この話を聞いたとき久しぶりに脳内発火が起こった。浮遊していた様々な問いがスパークして繋がった。

 

そして「相補性」という言葉を教えていただいた。ある細胞がなかったら、ジグソーパズルのように周りのピースが支え合ってその空いている真ん中のピースがあるかのようにふるまう。細胞レベルで助け合い、支え合いをしているのだ。自己責任などと言っているのは人間が作った社会のルールなのだ。

薬の害悪についても花粉症の薬を例に説明された。”動的平衡のリベンジ”という恐ろしい薬害。つまり飲めば飲むほど効かなくなり、過剰に薬が増えていく。まるで麻薬のように。

翌日の授業はもちろんこの話。中間試験の前日。世の中は試験勉強の時間に使うのだろう。ごめんね。

福岡先生、山口県に来ていただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

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コメント: 1
  • #1

    あだち すすむ (水曜日, 18 10月 2017 16:53)

    知り合いが宮崎県小林市で、豚糞をあつめて切り返して発酵させて、それを肥料にして野菜づくりをしていました(故人になりました)例えばキャベツ。虫を駆除すれば するほど卵をうみつける。彼は外葉は幼虫に与えて、出荷のとき捨てるようにしていました。講演を聴きながら彼の農業を思いだしました。