捨てる

バランストレーナー 小関勲先生からの言葉を引用します。

【今日のポイント】

一寸先は闇ではないが、スポーツにおいても、世界の情勢においても、どうなるかは予測不可能。

 

だからこそ、標準化したものをどんどん捨てなくてはならない。

捨てる代わりに必要なのは、方向性と自由度。

 

【今日の実践】

方向性を決めたらその中で自由にやってみる。

 

 

この時期、不思議に「捨てる」というキーワードが目につくのは気のせいであろうか?(笑)

 

【今日のポイント】の内容は数学を教える上においても、全く同様のことを言っている。「努力する”方向”を間違えるなよ」と口を酸っぱくして言っている。

方向さえ間違えていなければ、速くなくてもいいし、間違ってもそう大過はない。

 

例えば方程式は「式を立て=立式」ことが醍醐味であって、「解く」ことがメインではない。

 

それは「解法」が存在するから。(あくまでも私の教えている高校数学の話です。解くことは技術の上で必要だとも思います。)

 

「解法」が存在するなら、極端な話、あなたが解かなくても誰かが解いてくれることになる。そして、その答えは誰が解いても同じものになる。

できるだけ質のいい解法があれば、誰がやっても同じ「結果」=”儲け”が出る。

 

だとすれば・・・

”あなたは誰にとって替わっても良い”ことになってしまう。

 

つまり、質の良い「システム」と「メソッド」があれば、「人(あなた)は要らない」という結論になりはしないであろうか?

 

このことによって経済的な成功をしているところはあるだろう。「システム」を売りにしている会社だ。その”儲け”によって人が経済的な幸せを享受していることは認めなくてはならない。

だが、それ一辺倒になると「人は”儲ける”ために存在している」ということになりはしないであろうか?

現教育は、そんな「(経済的に)役に立つ人間」を育てることに一生懸命である。小さいころからそのマインドが育てば、将来使いやすい人材になるからだ。そして、使い捨てできる人材になるからだ。

 

「自由」を担保するということは、「失敗しても良い」ということにも繋がる。

そして、もう一つ大事なことは、「時間軸」が導入されるということである。

生物は、いつ、花開くかは誰にもわからないし、開いていても、誰も気が付かないということさえある。

名を歴史に残している人の多くは、亡くなってから賞賛されることがほとんどである。

 

「標準化」=「公式」を手放した時に、「自由」と「時間」を手に入れることができる。

その中でどう人は変容するのか?その可能性にとても興味がある。もちろん、自分を含めて。

 

そして、それに共感する人達で、それを知らない子供たちに、そんな世界もあることを伝えて行きたいと思う。

 

絶滅危惧種にして保護してくれないかな?

保護してもらえる?(^o^)