コラム~ゼロはある(菊川画廊主との対話)~

足立進さんの企画で宇部市にある菊川画廊にお邪魔した。

一旦お開きになった後、画廊主(菊川俊雄さん)と一緒に椅子を片付けながら、「藤野先生、ゼロはあるんですね。無でもなく空でもない、ゼロはありますね」と話しかけられた。

「ドエトフスキーを読んでそう思ったんです」。

絵を例えにお話しになり、私なりに意を汲んで翻訳させていただくと、「そういうことです!やっぱり通じた」と興奮気味にお話しされる。

 

画廊主は展示の準備をしているとき「絵の声」が聞こえてくるそうである。

絵が「そこじゃないなー」とか「もう10cm上側に」など、伝わらないだろうなーと照れくさそうにおっしゃっていた。「こんな話は誰にでもできませんから、通じそうな人に話すんですよ」。

 

ある難解な抽象画を前に話をしていたのだが、私には今まで見えなかった形や光、奥行きが見え始めた。その絵は実は捻れていた。それを伝えると「そうです。絵が見せてくれるんですよね。絵の中に入ったんでしょうね」。

絵心のない私には不思議な体験であった。

 

午前中は下関のお掃除に参加した。

私は初めての場所のときは、その場所が掃除をしてほしいところを探す。

その場の声を聞こうとする。もっと言えば受け入れてもらおうとする。それが学ぶこと、更には「礼儀」だと思っているからである。

 

鍵山秀三郎師は草を手に持ったとき、その草がどちら側に引いてほしいかが分かるようになることを勧めておられる。「したいことをする」のではなく、「してほしいことを」する。自らを客観視する稽古だとも思う。

 

菊川さんは冒頭の絵の鑑賞方を説明されるとき「絵を見て素敵な色だなと思ったらそれは貴方の心が素敵なのです。それぞれの感じ方があります」と言われた。

私には「絵を通じて己のこころに触れてみて下さい」と聞こえる。私の「お掃除観」「ひもトレ観」と同じだと感じた。

 

「人は必ず死ぬ。つまり結果は分かっているんです。ということはプロセスである生き方に目を向けないといけませんね」「生は苦も含めて、美や嬉しさを感じさせてくれる」

そんな話で落ちが着いた。

 

そして、こんな時間が充実した豊かな時だということもお互いに合点した。

 

菊川さんが数々の著名な名画家さんたちから信頼されている理由が分かったような気がした。

ありがとうございました。